千葉進也選手 120%の力で

5月13日に全日本男子チームが発表されました。

今年の全日本は、われらが堺ブレイザーズの千葉選手、
ブラジル修行から帰国したばかりの石島選手や、
サントリーサンバーズの越川選手など、昨年からの主力メンバーに加え、
東レアローズからはブロック賞を受賞した富松選手と今田選手、
豊田合成トレフェルサの島野選手の3名が初選出されました。


ブロック賞を受賞した富松選手のブロックが楽しみです


植田辰哉監督は「一昨年、昨年と強化を進めてきたが2007年はその集大成とも言える年だ。
幸い世界バレーではベスト8を確保できたし、世界を狙える所まで来たと思う。
今回のメンバーで北京につながるメンバーを確保できた。何としても北京の出場権を取りたい。
この選手達をこれからどう伸ばしていくかが私に課せられた大きな課題である」と、全日本のメンバーが、北京オリンピックの出場権を手にしたときの感激の一瞬をイメージしてしまう、
頼もしいコメントをしています。


植田監督をはじめ、全日本メンバーはもう、北京オリンピックのコートが見えているのでしょうねわーい(嬉しい顔)

千葉選手は「チームの目標達成に向けて自分の持っている力を120%発揮したい」と、これもまた頼もしいお言葉、北京オリンピックで千葉選手の姿を見ることは、もう現実に向かって進みだしたのです。


2007年度の全日本男子チームが戦う最初の戦いは、
FIVBワールドリーグ2007」です。


国内では愛知(6月9日、10日)、熊本(6月23日、24日)、東京(6月30日、7月1日)の3ヶ所で試合が行われます。


その後、秋から初冬の11月2日〜12月2日に北京オリンピック最初の出場権をかけた
ワールドカップ2007」で、全日本メンバーの熱い戦いがくりひろげられるのです。


今年の全日本男子の活躍には目が離せません手(チョキ)










堺ブレイーザーズの庭

堺レイーザーズの面々が日々汗を流している体育館の新日鉄堺製作所内の、
堺浜シーサイドステージ内に複合エンターテインメント施設
「遊んで、食べて、観て」の「堺浜えんため館」があります。


エンターテインメントという言葉をコンセプトに、お子様からお年寄りまでが楽しめるように2006年4月15日に誕生しました。
21,000坪という広大な敷地に、映画館、ボウリング・アミューズメント・
パチンコ・スロット・レストランがあります。


MOVIX 堺 は、スクリーン数12スクリーン、座席数2413席、全館デジタル音響システム対応 。
嬉しいサービスは、スペシャルプライスとして、
夫婦50割引
(夫婦の方どちらかが50歳以上、同一作品に限り夫婦で\2000 )や、

高校生友情プライス
(高校生(高専生含む)3人以上のグループで人数分の学生証を提示することにより、同一作品に限り 1人\1000)
という、ご機嫌なサービスがあります。
余ったお金でポップコーンやドリンクを買って楽しめますね黒ハート



PANIC BOWL 堺では、関西初のボウリングシステムとなるディズニーキャラクターゲームを採用!
更に常駐のプロボウラーにプロショップも併設でボウリングビギナーからマイボウラーまで楽しむことができます。



関西最大級、最新のゲームパーク「GAME PANIC 堺」では、
「充実のメダルゲームコーナー」や「目移りしちゃうクレーン機コーナー」 「おもしろキッズコーナー」
の他にも注目の「ショーステージ」などがあり、楽しさテンコ盛り。


ガンガン遊んだあとは、やっぱり美味しい食事わーい(嬉しい顔)


JAS認定の「オーガニック-有機栽培」原料を使用している
「オーガニックカフェ」


一皿94円からスタートの品揃え豊富で良心価格の回転寿司と
北海道(根室)・長崎県(国境の島、対馬)の漁師さんと直接契約した、
天然旬魚のお造り等。
回転寿司の常識をくつがえす、「海鮮料理 魚魚市場」


お祭りをイメージした店内の「串家物語」好きなものを好きなだけお好みで揚げられるお店。
ガッツリ食べるのもよし、軽く食べながらワインや日本酒を楽しむのもよし。


御飯・味噌汁・キャベツを気軽に「おかわり!」と言える、四国からやってきた「かつ処 季の屋」
「安心・安全」をキーワードに、美味しいかつを提供しています。



行列の出来る最強のカルボナーラ専門店「ハリス」
美味しいものを食べるために、女性は並べるのですが、男性は嫌がりますね…


飲んで食べて観て楽しめる、400人収容の大空間のフードコート
「遊食スタジアム」では25の大型モニターが連日ワールドスポーツを中継。

リラックス空間で美味しいお食事とライブな映像を楽しめるスペース。
アイスを食べたり、軽い食事にピッタリですね。



他にもえんため館を利用されるお客様向けの託児ルーム
「えんためキッズ」があり、

エンタメキッズを利用してMOVIX堺で映画を見ると、二人まで映画料金が1,200円に!
旦那さんと二人恋人時代のように、映画を観るのも楽しいですよねハートたち(複数ハート)
その上、えんためキッズ30分利用料(300円)が割引になります 。


19年4月28日(土)には日本最大級の天然温泉・岩盤浴「堺浜楽天温泉祥福」もオープン。
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男女各18種と堺市随一の風呂数を誇るスーパー銭湯。

なかでも「楽天風呂」は肌の脂肪分や分泌物を洗い流し、
肌がスベスベになる黒ハート美人の湯として好評。

5タイプそろう複合型の岩盤浴「祥汗房」は、麦飯石などの加熱した鉱石から発散される熱で体を芯から温められ、気持ちよく発汗できる。
呼吸が楽になる酸素補給システム付きで快適!

堺ブレイザーズのメンバーも、練習で疲れた体を癒しに利用することでしょうわーい(嬉しい顔)
(混浴ならいいのにな〜!冗談です)


遊んで、食べて、温泉に入り、一日いても遊び足りない「堺浜えんため館」
大容量の駐車スペース(約1,800台)と充実した設備に、
住之江公園駅から、シャトルバスも運行されています。


夕焼けが美しいエリアなので、運がよければ、きれいな夕日も堪能できそうですねぴかぴか(新しい)

炎の男たち

弟とブレイザーズの話をしていると、台所で食事の支度をしていた母が、
弟に「なに?ブレザー買うの?」…

「買わないよ!なんで?」「だっていまブレザー、ブレザーって言っていたじゃない!!」

ブレザーとブレイザーズ…似ていないこともないけど、「堺ブレイザーズという、バレーチームだよ!」
と、弟が言うと、「フ〜ン、あんたそんなものに興味があったの?」
ダブルで勘違い、母はバレエと思ったようだふらふら

Blaze を 辞書で引いてみると、【炎、火炎、きらめく光、光輝、激発、興奮】とあります。
Like blazes  で、猛烈に、激しく。

なんて力強い言葉でしょうわーい(嬉しい顔)

「堺ブレイザーズ」堺の炎ですよ!


運営母体企業 (株)ブレイザーズスポーツクラブ
チーム所在地 大阪府堺市築港八幡町1番地(新日鐵堺体育館2F)
  郵便番号:590−0901
  電 話:072−233−2264    
 FAX:072−233−2248
練習場 新日鐵体育館(チーム所在地に同じ)

ブレイザーズのメンバーは日々、新日鐵体育館で汗を流しています



新日鐵バレーボール部のルーツを求めていくと、昭和2年にまでさかのぼることが出来ます。

旧・八幡製鉄所(北九州市)で、社員の健康維持のために職場で盛んに行なわれたと、
記録が残っています。

その後、正式に「日本製鐵バレーボール部」の形になったのは、
1939年 (昭和14年)のことです。

1950年 (昭和25年) には八幡製鐵に社名を変更、全日本実業団選手権で優勝。
初の全国制覇を達成。


1964年 (昭和39年) の東京五輪には、池田尚弘、徳富斌、中村祐造の三選手が出場、
銅メダルを手にしている。


1967年 (昭和42年)には、 第1回日本リーグで優勝 。
東京五輪に続き池田尚弘がメキシコ五輪に出場、銀メダルを手にしている。


その三年後の1970年 (昭和45年) 新日本製鐵に社名変更。
本拠地を北九州市から堺市に移したそうです。



太平洋戦争中は一時休部したそうですが、終戦直後の昭和21年に、いち早く活動を再開したそうです。


過去の記録としてしか戦争を知らないわたしたちですが、60年以上も前からバレーボールに情熱を注いだ選手がいたということに、感動を覚えます。


現代のブレイザーズとはかなり違いはあるでしょうが、60年前の試合を見てみたいですね。


半世紀以上前から、綿々と伝わるバレーボールへの熱き思いが、
現在の「堺ブレイザーズ」の選手たちを、堺の炎として燃やし続けているのでしょう。

意外な!ミスター・バレーセンス

意外!ミスター・バレーセンス

ある雑誌に掲載されていたのですが、千葉進也選手が最近感動した本は、
なんと『1リットルの涙 』◇なのです。

彼の試合中のプレーを見ていると、1リットルの涙を読んでいる彼の姿は全く想像できませんよね。

もしかして、鼻をすすりながら泣いているの?


バレーを始めたきっかけは、これまた意外にも親御さんに勧められたからそうです。

なんて素直な子なのでしょう…親に勧められ、始めたバレーボールを16年も続けただけでもすごいと思うのに、

なおかつ、現在の地位にいる千葉進也選手。なんて親孝行なんでしょう。こんな息子をもったら嬉しいでしょうね。

親御さんのどちらかが、バレーをやっていたのかな?なんて考えてしまいました。



そんな素直で親孝行の千葉進也選手のもつひとつの顔は、全くちがった一面なのです。

座右の銘 は自信。
アピールしたいプレーは全部。
生まれ変われるならこの人になりたい! 自分。


座右の銘のとおり、すごい自信だとおもいませんか?そして今の自分の生き方が好きなんだなと実感します。


生まれ変わったら…絶対に嫌というわけではありませんが、わたしは自分になりたいとは思いません。
そうなんです、今の自分にはない、いろいろ理想はあります(笑)



「2006世界バレー応援!&ファン交流イベント」で小林麻耶アナがかました天然ボケの質問での1コマが愉快でした。

お酒好きの千葉進也選手に小林麻耶アナが「試合中はお酒飲むのですか?」のボケ質問に対して。
「試合期間中にも飲みません」と千葉進也選手は返していた。



試合中にお酒を飲まないなんてことは、小学生の子供でもわかることだと思いますが、
その質問に対して、まじめに「試合期間中にも飲みません」
という真面目な回答は、彼、千葉進也そのものなのでしょうか。

強かった「東洋の魔女」

1910年頃に初めて日本に入ってきたバレーボールは、老若男女だれでも楽しめるスポーツとして、日本では非常に人気のあるスポーツとなりました。


昭和30年代の映画(モノクロ)で時々見かけるのが、会社の昼休みに屋上で何人かが、円を作って興じるバレーボール、見たことありませんか?


現代では皆無に等しいと思いますが、当時はそれがトレンディーだったのかもしれませんね。

そんなバレーボールの盛んな日本で、1964年の東京オリンピックでは6人制バレーボールが正式種目に採用され、
最もバレーボールが輝きをはなっていたのが1960〜1970年代です。


大松博文監督率いる日本女子バレーボールチームは、昭和39年東京五輪で宿敵ソ連を破り金メダルを射止め、
その比類なき強さから「東洋の魔女」と世界から賞賛されましたが、
英語圏では、魔女と言うのは女性に対する最悪の罵声の一つであり、
「東洋の魔女」というのは褒め言葉ではなく野次である、と言うのが実際のところであったそうです。。
ちなみに国内でも一部からは「顔も魔女」という悪口が飛んでいたようです。


何度かテレビで、当時のモノクロ映像を見たことがありますが…
現在の女子選手はなんであんなにかわいいのでしょう?
食生活の欧米化でしょうか?ちなみに当時のユニフォームはちょうちんブルマーです。


管理人が当時、高校に入学すると、バスケット部は廃部になっており、今まで部活中心の生活を送っていたのが、
帰宅部になるのも、抵抗があり、なんと、初めてバレー部に入部したのです。


最初は悲惨でした。ボールが当たる腕は、内出血で紫色のしま模様のようになり、痛くて、痛くて。
バスケットをやっているときよりは、突き指の回数が若干減りましたが、とにかく痛い。

走る距離は激減しました。基本的に守る範囲は前後左右プラスαですから。
当時の高校バレーのユニフォームは、今では見る事のできない、三角パンツ…
バスケ部は丈のある短パンのような形でしたので、その三角パンツが嫌で嫌でどうしようもなかったです。

今のユニフォームはカッコいいですよね。羨ましいです。

中学はバスケ、高校でバレーボールを体験し、いまではバレーボールが好きです。




ミノネットだったの?

バレーボールは1895年にアメリカで生まれたスポーツです。
最初の名前は「ミノネット」

当時のアメリカでは、屋内で行われるスポーツとしてバスケットボールが流行していましたが、
バスケットボールは、運動量が多すぎるし、
体の接触があり危険ということで、運動量を控え、体の接触をなくした、
女性や子供など、誰でも気軽に行えるスポーツとして「ミノネット」は生まれました。


確かに、バスケットボールはコートを行ったり来たり、走るだけでもかなりの運度量ですよね。


先日、息子の小学校の授業参観が体育館であり、少し早く着いたので、
横にあったボールでドリブルシュートを?十年ぶりにやってみたら…


あれ、手と足がバラバラ、ドリブルするボールは手にピッタリついていない、「まりつき状態」
ショックでした(涙)信じられませんでした。
だって、中学時代はバスケット部でしたから、
おまけにキャプテンですから。

30年以上経った自分の身体能力の「劣化」に唖然としましたがく〜(落胆した顔)

話をバレーボールに戻しますわーい(嬉しい顔)

誕生した1895年は「ミノネット」と呼ばれていたのですが、翌年の1896年には「ボールを打ち合う」ことから、
テニスの「Volley」」という言葉を使い、「VolleyBall:バレーボール」と呼ばれるようになりました。


当時のルールはチームの人数も特に決められてはおらず、
集まった人数を半分に分けて1チームとし、2mの高さに張られたネットを
挟んで両チームがボールを落とさないように打ち合う。
決まっていたルールはそれぐらいの単純なものだったそうです。

ミスターバレーセンス

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千葉 進也
ふりがな ちば しんや
生年月日 1977/12/5
ポジション ウイングスパイカー
所属 堺ブレイザーズ
身長 186
体重 80
最高到達点 343
出身地 神奈川県横浜市
出身校 順天堂大学


「ミスターバレーセンス」という名にふさわしい、千葉進也選手のプレー。
一つ一つが安定していて確実に相手の隙をつく、天性の勘というものなのでしょうか?


決まっても、ミスってもあまり表情をくずさない。
そこがたまらない。平常心の現れなのでしょうか。


身長は186センチ。アタッカーとして高いとは言えない。
千葉進也選手は体格を補うため、高校時代から意識して相手のブロックのすき間を縫ったり、
ブロックに当ててアウトにしたりするプレーを実践してきたそうです。


神奈川県の釜利谷高校、順天堂大学と進み、堺ブレイザーズの前身の新日鉄に活躍の場を移し、04年にはブレイザーズの主将に。


「主将は、後輩に教えなければならない。自分が努力を重ねて得た技術を簡単に教えたくないという気持ちもあった」と、語っていたが、「簡単に教えたくない」という言葉に、
千葉進也選手が体格を補うためにしてきた努力の積み重ねと、
バレーボールへの熱い思いを感じてしまう。


順天堂大学のチームメンバーは、
「困ったら進也に挙げれば決めてくれる」と、当時を振り返った。


そんな千葉選手が、雑誌のインタビューで、
「僕の仕事はレセプションを正確にセッターに返すこと。
それさえできれば、打つやつはいっぱいいる。僕が目立つ必要はない」と語っているのを知って、ますます、千葉進也選手の心の広さに感激したのです。


Vリーグで、日本人では8年ぶりの最高殊勲選手に選ばれた、
千葉選手は「バレーは6人でやるものだから、ミスをしても一人になっちゃダメ、全員で1本1本、6人で取っていこう」と言い続けたそうです。


技術面に優れているだけではなく、千葉選手のリーダーシップに脱帽です。
全てのプレーにおいて観ている人に夢と感動を与えられるように全力で頑張ると、
語る千葉選手。

どんな場面の登場だろうと、千葉進也選手に迷いはない。